2020年5月2日(土)から開催予定の「博物館企画展 激動の明治大正の沖縄〜第11代 齋藤用之助の足跡から〜」のフライヤーをデザインしました。
第11代齋藤用之助とは?
第11代齋藤用之助さんは、明治大正の沖縄において数々の偉業を成し遂げた偉人です。
ただでさえ、明治大正時代というのは長らく続いた江戸時代が大転換を迎え、文明開化だの、廃藩置県だのと慌ただしい時代でした。
さらにここ沖縄では14世紀から続いた「琉球王国」が1871年からの「琉球処分」を経て琉球王国から琉球藩へ、琉球藩から沖縄県へとどどどと変革した時代でした。
そんな中で佐賀県から警察官として赴任し、行政職や首長を歴任して近代沖縄のインフラ整備を行ったのが「第11代 齋藤用之助」さんです。
デザインのレイアウトはすでに決まっていました
今回は担当学芸員さんの頭の中でレイアウトが決まっておりました。
使用する素材も決まっていたので、とてもスムーズにデザインまで進みました。
素材は第11代 齋藤用之助氏のお写真と『識名園 園遊会 記念盃』の写真でした。記念盃は琉球王国尚家の紋章「左三つ巴紋」と日本政府の「五七桐紋」があしらってあります。
用之助氏のお写真が古いものを撮影したものなので、紙幣や昔の新聞にみられるようなハーフトーンを重ね ごまかし ました。
明治や大正のデザインをググる
実際、明治や大正のデザインってどうだったんだろー?っていろいろググり、色使いやフォントを参考にしました。
めちゃめちゃ参考にさせていただきました。
いやー、昔ってすごい。全部「手描き」だもんね。ほんとすごいと思う。
バナーの美しい曲線も、文字の一字一画も背景の模様に至るまですべて手描き…。ありえん。
私はなぜだかこの時代のデザインがすごく好きで、今回のフライヤーデザインは誠に楽しかったです。
第11代 齋藤用之助という人のすごさ
今回の展覧会に出会うまで「第11代 齋藤用之助」さんについて何も知らなかったのですが、彼は久米島では「神様」になってます。
というのも彼は、沖縄の道路整備、産業基盤の確立、人材育成に携わったばかりではなく、1903年に大噴火した硫黄鳥島の島民全員をわずか10カ月で説得し、全員了承のもと久米島に移住させたすごいお人なのです。
業績だけではない! 注目すべきはその人柄。
第11代 齋藤用之助さんがすごいのは単に業績だけではなく、そのお人柄にもあったようです。琉球処分や廃藩置県を経ての沖縄県では「内地(沖縄県外)」からやってきたというだけで風当たりも強かったであろうことは容易に想像がつきます。
クセの強い沖縄の郷土料理「山羊(ヒージャー)料理」をこよなく愛し、まさに「同じ釜の飯を食い」つつ改革に取り組んだ彼は多くの県民に愛され、島尻郡長退任の折にはちょっとした村の祭りになったそうです。
また、硫黄鳥島→久米島移住プロジェクトの際にも、島民が心の拠り所としていた「墓」や「御嶽(うたき=聖地)」をも一緒に移動させることを決めたそうで、彼の決断が島民の決断を促すことになったのです。
そんな、人の心の機微がわかる、とても頼もしいリーダー。
今の時代にこそいてほしい人物!(´;ω;`)
展覧会開催中におこった未曾有の新型コロナウイルス禍…。もし第11代 齋藤用之助さんが今の時代に生きていたら、どんな行動をとっただろうか?
こんな大人になりたい! (すでにいい大人だろ…)
そんな思いがふつふつと沸き起こる展覧会でした。
『識名園 園遊会 記念盃』を寄贈してくださったのは第14代 齋藤用之助さん
「用之助」というお名前は代々襲名されていく、ということで今お名前をついでおられるのは第14第 齋藤用之助さんです。
2019年10月の「首里城火災」で首里城が全焼してしまったことを受けて、
「少しでも沖縄の人たちの心が元気になってくれたら…」
と第11代 齋藤用之助の代から受け継がれている『識名園 園遊会 記念盃』ほかを沖縄県立博物館・美術館に寄贈してくださったのです…(´;ω;`)。ええ人や。
聞くところによると毎年お正月にはこの盃でお屠蘇を飲んでいたんだそうで、そんな大切な物を沖縄県民のために惜しみなく寄贈してくださるなんて、本当に温かいお方です。ありがとうございます。
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