前回の記事「個人の経験に基づく情報技術発展の歴史(笑)小学校編」から5年経過して、中学校2年の時の話(一応、日本は平成に突入してます)。
沖縄でもついにインターネットが繋がった!といわれたころの話です。
中学校で初めて「パソコン」の授業がありました。
でも相変わらず画面は黒い…。文字はカラフルだったけどな。
かろうじて、一人1台ずつパソコンがあてがわれましたが、ワタシも含めクラスメイトの大半は「ワープロとパソコンの違い」もわからず、「パソコンは大人が仕事で使っているらしいもの」という認識だったと思います。
先生が全員の端末を一括制御しているので、電源がどこにあるのか、立ち上げ方もわかりません。机に、画面とキーボードが埋め込まれていたような気がします。
当時は「情報の先生」もいなかったので、あの時、誰が教えてくれたのかも覚えていませんし(たぶん…担任だったかも?担任の先生の受け持ち科目は音楽だったけどな!)、先生もよくわかっていなかったであろうと、今となっては推察されます。
まー遊び半分の授業なので、普通の教科科目よりは圧倒的に楽しいし、テンションは高かったです。
ただただ、言われるままに「一太郎(当時、いや今もかな?学校現場で主流のWordアプリケーション)を開いて〜」「文字を打ってみる」だけ。「花子(上記同じくグラフィックアプリケーション)を立ち上げてみて」「マウスで絵を描いてみる」だけ。
とはいえ、マウスで描く自分の絵はガタガタでへたっぴーなのでさして盛り上がることもなく、クラスに2人か3人くらい、家にパソコンがある子たちがいて、すでにタッチタイピングを習得しておりみんなから賞賛されていた、それがパソコンの授業でした。
授業というより「みなさんパソコンというものを触ってみましょう」的な感じですかね…。それが2〜3時間で終了しました。それきり、パソコンの授業はありませんでした。
時は1990年代に突入したばかり…。この段階ですでに、「パソコンに詳しくなれるか否か」は「各人の家の状況による」といった感じなのでした。
つづく…。
当時の会社員はどうやって仕事を???
当時のワタシはまだ中学生だったんでパソコンもネットもなくても困らなかったですけど、今考えると
「会社勤めの人たちってどうやって仕事してたんだろー??( ゚д゚)ポカーン」って思っちゃいます。
だって、当時はインターネットすらつながっていたのはごく一部のエリアだけです。
- 文書作成 → ワープロ?手書き?
- プレゼン資料 →
紙しばい??OHP(オーバーヘッドプロジェクタ)35mmスライド - 電子メール → お手紙
- 情報検索 → 図書館?新聞、雑誌、
取引先との飲み会? - GoogleMap → 地図
- ケータイ →
テレパシー?無駄足
(;´Д`) ぐったり…。めっさ時間かかりそう…。当時はなんとも思わなかったかもしれないけど、過去にタイムトリップしたらムリだなー。あん時中学生でヨカッタ…
って、ぐぐってみたら似たような事を疑問に思って、しかも実践してる人がいた(笑)!
「もしもインターネットがなかったら…昭和のビジネスを再現してみた」
面白いので是非ご覧ください。
現代を生きる若人への課題(笑)
1)1980年代のOHP(オーバヘッドプロジェクタ)を使ってプレゼンする際の準備手順を述べよ。
先ほど出てきました、OHP…。最近のOHPはノートなんかも普通に表示できるようですね…初めて見た時驚愕しましたよ…。
そういや昔はペラッペラの透明フィルムでしたね…。思い出した…そのフィルムに「手書き」でしたよ…。
2)パワポが35mmスライドの時代のことを想像してまとめよ。
意味わかります?
そもそも35mmスライドの映写機自体見たことないですよね?おそらく平成生まれは…。
スリットに35mmスライドを順番よく並べて〜「次」(ボタンを押す。ガシャリンコ)「次」(ガシャリンコ)とスライドを送っていく機械です。→(スライド映写機)
スライド1ページは35mmフィルム1枚。
作ったスライド35mmスライドは、1枚1枚お店で「現像」してもらわにゃならんのです。
コレ、すなわち「ギリギリでの修正はNG」ということ。現像後に誤字脱字やミスなどあってももう無視。ナニゴトもなかったことにする。そんな時代です。ある意味ステキですねw。
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