2020年秋、母(74)が自宅で息を引き取った。
人の生死やお葬式といった人生の一大イベントも「新型コロナ」のせいで大きく様変わりしていることを感じたので忘れないように記しておこうと思った。
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ことの始まりは腸閉塞による緊急手術
孫の22才の誕生日の翌日、母は腸閉塞で緊急手術を受けることになった。
緊急手術を受ける10日前ごろからどうもお腹の調子が悪かった様子…。
(緊急手術10日前)毎日きちんとあったお通じがない。お腹の調子が悪い。
(緊急手術9日前)気になる便通がまったくなくお腹のハリ感はあるが便意がまったくない。下っ腹が時々痛むと同時に左脇腹でグルグルとお腹が鳴る。
(緊急手術8日前)座薬を投入して1時間後に排便少量。脱水状態。
母の日記より
でも、お腹がとても痛いわけではないし、う○こが出ないくらいで病院に行くのはちょっとねぇ…という状態だったのではないかと推察。
が、しかしそうも言っていられなくなり…。
ガスが出ない苦しさのあまり、近所のかかりつけの外科で、一度浣腸処置と点滴をしてもらって症状は一時的に良くなったものの、翌日には「もとのもくあみ」のような状態だったようだ。
主訴:腹部膨満感
我慢強い人や病院が嫌いで極力行きたくない人って「痛い?」って聞かれると「痛くない」って答えますね。母ももともと病院嫌いでかなり我慢強い方だった。
これくらいで病院にかかるなんて申し訳ないって遠慮もするタイプ…。
月曜日にかかりつけ医で処置してもらったにも関わらず、水曜日にはどうしようもないほどに苦しかったようでかかりつけ医を再診。そこで
「あーこりゃダメだ!救急車ー!!!!」となったようだった。
一体、かかりつけ医の先生には何が見えていたのだろーか!?
ともかく、近所のかかりつけ医から救急車ですぐ近くの総合病院へ救急搬送となった。
否応なしに緊急オペ
病院嫌いな母にとって、このような緊急手術の状態、「否応なしにまな板の上に載せられる状態」というのが治療をする上では好ましかったと思う。ドクターたちには誠に申し訳なかったが…。
私も「緊急手術」の一報をメールで受けたときは度肝を抜いた…。母が、緊急オペだと!?。同意したのか!?手術に!
う○こが出ない→緊急手術!?
だって「お腹の調子が悪い。便秘かも?」という話を聞いた翌々日に「緊急手術」という。戸惑うわ…。
立ち会った姉が数々の同意書(輸血同意書だの、入院同意書だの)にサインしまくり、よく訳もわからぬままに手術が始まった。
私が病院に到着したのが手術が終わる数分前。執刀医による説明が終わった後だった。
腸壁がもう限界。
執刀医の説明によると、摘出した腸は大きくなった腫瘍によって限界まで引き伸ばされ、もういつ破裂してもおかしくない状態、薄皮一枚でなんとか管状を保っている状態だったとのこと。おそロシア。
腸管が破裂して内容物がお腹の中に散らばってしまうと、大変面倒なうえに命に関わるので緊急手術になった、ということだった。
姉曰く、見るからに禍々しい姿をした摘出腸だったらしく、執刀医も「病理診断をしていないので確定ではありませんが、おそらく癌でしょう」という話だった。
総合病院到着。大人数で手分けしていろいろ処置。検査記録があったので外科の先生が即決オペを決め、いろんな危険要素を考慮して5〜6時間かけて腸をきれいに整えてくださった。人工肛門になることにはなったが、命は助かった。本当にありがとうございます。「感謝」の言葉しかありません。
母の日記より
診断名:下行結腸がん疑い。本人に告知するべきか?否か?
術前に交わした手術同意書によると、病名は「下行結腸がん疑い」による「腸閉塞」「消化管穿孔」。
さて、癌であることを本人に告知するべきか?否か?
自分が同じ立場だったらどうして欲しいか? などという話を姉や妹と話をして、みな
「もし自分が同じ立場だったら、告知されなきゃ嫌だ。」「母の性格的にも病状を隠されたら疑心暗鬼になって治療が困難になるだろう」
という結論に達したので、病状については包み隠さず本人に話すことにしました。
術後、ICUに入って目を覚ました母は比較的すぐに
「手術同意書とかを改めて見たい」
と言い出したので、多少心配ではありましたがすべての書類を包み隠さず見せました。
術後の母はここ数日の苦しさから解き放たれた清々しい気持ち、ほっとした感じと、でも癌という診断が夢ではなかったという落胆の気持ちとが入り混じったような複雑な表情をしていた。
母が息を引き取る日まであと435日
下行結腸がんと診断されたのが、2019年の夏。
当時は一体どんな闘病生活がはじまるのか?と不安だった。
幸いなのは我が家は姉妹が多いこと。県外に散らばってるとはいえSNSでずっとやり取りをしていたので、実況中継から相談に至るまでみんなで相談できた。
本当に心強い! この点においては「母よ!ぐっじょぶ!」と称賛したい気持ちだった。
本当に私達を産んでくれてありがとう…(つづく)