右肩の激痛から緊急入院、13日後に一大決心をして外科的処置を受け入れた父でしたが、先生方は父のハードルが下がったのをいいことに、なんと手術も薦めちゃいました(笑)。
同じ「外科的処置」とはいえ、手術には「全身麻酔」というこれまた一つの経験値を得るような大きなステップがあります。
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この際だから「胆嚢」もとっちゃおう!そうしよう!
今回の入院で父についた病名は「菌血症」「感染性肝嚢胞疑い」「胆嚢炎の疑い」でした。
CTやエコー検査をしても、感染の原因が「肝嚢胞」からくるのか「胆嚢」からくるのかなかなか確定し難い状況でした。
そして、前回の「外科的処置」のおかげで感染の原因が「肝嚢胞」だ!ということは確定できたわけです。
しかし、先生方からすると
「胆嚢にもでっかい胆石見つけちゃったんだよねー。これ、炎症起こすと痛むよ〜今度は激痛がくるよ〜」
といったトコロでしょうか(笑)。
先生方は父にもそんな様な事を話し、手術の決断を促してました。
母「もうやっちゃおうよ!ね?いいよね?」
女性というのは実に潔いもんです…。(特にヒトゴトであればなおさら…)
母曰く、
- 腹を3cm切ろうが15cm切ろうがもう同じ。
- 麻酔するんだから痛くない(因みに母は手術なんか受けたことありません…笑)
- また、こんなツライ膨満感やもやもや痛に悩まされたくないでしょう?
ということでした。
確かに一番近くに長い時間過ごす同居人にとって、「何度も痛みや不快を訴えられる状況」というのはストレスになり得ます。
一方、父はというともう肝念したのか
「わかった。手術する」と!
なんという事でしょう!あんなに手術を拒否していた父が、あっさり同意するなんて…。
この入院で85歳にして多くの成長を遂げた父(笑)。経験値上がりまくりです。
一切揉めることなく、医師、本人、家族のみんなが同意するという模範的な過程でもって手術が決定しました。
緊急入院から24日経過した初夏の午後、手術をすることになりました。
処置の前も、手術の前も父は「シトラスフレッシュ」のアロマオイルを常に傍らに置いておくようになりました。
不安な時にオイルを嗅いではココロを落ち着けていたようです。
85歳にしてなんて素直な父(笑)。
真っ白な弾性ストッキングを履いて手術室に向かいました…。
手術の前日から絶食、当日は朝から絶飲食となります。
説明では13時入室予定でしたが、前の手術次第で予定が押す可能性も高いとの説明を受けていました。
絶飲食での待機はツライよな〜と思っていたのですが、なんと予期せぬ「前倒し」となり、11時に手術室に呼ばれました。
手術の際に履く「深部静脈血栓症」予防の弾性ストッキングを装着し、オイル片手に準備も万端であります。
処置後から父はだいぶ回復していたので、自分で点滴を押してスタスタ手術室に入っていったのでした。
実は、手術の前後から看護大学の実習看護師さんが一人専属でついてくださってました。
父がいろいろ潔く決断できたのは、彼女の影響もあったとワタシは思っています。
カワイイ看護師さんの前でオタオタできませんもんね(笑)。看護実習生のNさんどうもありがとう(笑)。
手術は時間通り終了。おっきな胆石が取れました。
なんとフシギな事でしょう!100円玉と同じ大きさ程度のまぁるいコロンとした真っ黒の胆石が出てきました。
こんなにでかい胆石があるにも関わらず、今までなんともなかっただなんて!
因みにワタシの友人が胆嚢炎になった際は、
- 差し込むような右脇腹痛
- 顔面蒼白かつ嘔吐
- 発熱
を伴い救急受診、即入院となりました。
彼女のお腹からはラムネ大のオニキスの粒が15~20個コロコロと出てきたようです。
Wikipediaによると紀元前1,500年〜1,600年のミイラからも胆石が発見されているのだとか。
胆石!摩訶不思議!
術後の経過も極めて良好。無事退院しました。
父の術後の経過は極めて良好で、当初は32もあったCRP(炎症反応値)も0.22にまで落ち着きました。
まさしく「生還」であります。
肝機能の値なんてワタシよりいいくらいです(笑)。
しかも、入院期間が「ジャスト1ヵ月」!なんという模範っぷり!
その背景には
- 要所要所での先生方の適確な判断
- 先生方&看護スタッフさんの丁寧な対応
- 頑なだった父を変えたアロマオイル
- 家族や親戚の意思統一と協力体制
などがありました。全てが抵抗なく進んだおかげだと思います。
父よ。あなたは相変わらず「運だけは」強い(笑)。
この病を期に自分の命と周りの人間(特に叔父さんにな!)への感謝を忘れずに残りの人生を謳歌して欲しいと思います。
術後5ヵ月経過した今、父は母の目を盗んで再びちびちびとアルコール消毒を再開しているのでした。
おしまい。