いよいよ、県外に嫁いだ姉たちも全員があつまり、親族が集結した。
介護ベッドに横たわる母のベッドを囲んで久しぶりに家族が団らんしていた。
母は静かにどこか遠いところ見ながら家族の話を聞いていた。
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訪問診療の医師がきた
前日来てくれた訪問医療施設の看護師T氏がいろいろ働きかけてくれたおかげで、医師の訪問がどんどん早まり結局翌日の朝一で院長先生が来てくださった。
看護師が悪戦苦闘しながらどす黒い血を引く中で、先生の診察が始まった。
大腸がん転移の肝臓がん末期で、今はひたすらだるい状況にあると思われるので、少しでも気力を出すためにステロイドを使いましょうと。
それから、経口の麻薬鎮痛剤のコントロールは難しいでしょう、ということで湿布状の経皮麻薬鎮痛剤が処方された。
看護師のT氏が手際よく処方箋を発行してくれたので、かかりつけ薬局に行って薬を処方してもらった。
2日後にまた伺います、と言って院長は帰っていった。
いつも利用している訪問看護師と医師との連携もとれたので、これでようやく少し安心することができた。
ステロイドで反応が回復
これまで、ぼーっとどこでもないところを見つめて過ごしていた母だったが、ステロイドを処方され服用したあとから、劇的に反応が改善した。
会話の返しも今までと違って早い。薬、コワイ…。
そして、母のお気に入りの姉2が県外から来たこともあって、母の反応はかなり良くなった。
これがウワサの「中治り」現象か!?
ステロイドのおかげか?はたまた、最期の直前に元気を取り戻す、いわゆる「中治り」現象なのか?
母は元気に県外にいる孫らとビデオチャットをし、回復したかに見えたので、私達も一旦自宅に帰り、早めに休むことにした。
その日の夜遅く、母に添い寝していた孫が汗ばんで少し苦しむ母の姿に気づき、訪問看護師に緊急コールした。
時刻は午前1時半。にもかかわらず看護師は飛んで様子を見に来てくれた。
体位のせいで導尿カテーテルが折れ曲がってしまったことが、母の辛さの原因だったようだ。
体位を整えてもらい母の症状は落ち着き、事なきを得た。
家族すら寝ているこの状況で、駆けつけて処置をしてくださる看護師さんにはもう頭が上がらない。
感謝しかない。マジ天使。
その後、翌朝まで母はぐっすりと眠った。
翌日は、シャンプーの日
明けて翌日、その日は訪問看護師が「久しぶりにシャンプーをしましょう!」と言っていた。
朝は目がさめて、薬を飲んだり流動食を口に入れたり、体位変換を行っていた。
相変わらず私達は母のベッドの周りで談笑しながら過ごしていた。
昨日の昼、調子が良かったということもあって、私は仕事に行くことにした。
異様な匂いに気がついた
仕事に行く前、母の体位変換を手伝った。
その際、母から異様な匂いがした。
卵が腐ったよな、異臭。体位変換の際に母がオナラでもしたのかと思った。
でも、おそらくそれはそうではなくて、あの時、母の体内ではすでに崩壊が始まっていて、毛穴から体臭として出ていたようにも思う。
体位を変換したあと、「お母さん、じゃ、仕事行ってくるね。」と声をかけた。
「うん、行ってらっしゃい」
それが、私と母の最期の会話となった。
最後の会話をかわしてから約2時間後、母は息を引き取った。
職場についてから打ち合わせをしている間に、Facebookメッセンジャーに姉から大量のメッセージが入っていた。
「母そろそろみたい。下顎呼吸になってる。(医師の)先生もみえるって」
ベッド上で看護師にシャンプーしてもらっている間、姉3が隣で手伝いをしていたところ、母の目がカッと見開いて、下顎呼吸が始まったとのこと。
下顎呼吸は「死前時呼吸」ともいうらしく、臨終間際に現れるということ。
私が連絡に気づいてから実家に到着するまでに母の呼吸はすでに止まっていて、みんなで母の体をマッサージしながら医師の到着を待っていた。
ひとりひとり「ありがとう、お疲れさま」と母に声をかけ旅立つ母を見送った。
約30分後に医師が到着し、母の臨終を告げた。
理想の看取られ方だったんじゃないかと思う。
コロナのせいで入院できないなどいろいろあったが、最終的に母は理想の看取られ方で逝ったのではないかと思う。
病院で息を引き取っていたら、こんなにゆったりと最期を過ごせなかったと思うし、病室を早く空けなきゃいけない病院の事情、待ち構える葬儀屋…その後は雪崩のようにことが進むのだろう。
母とゆっくりお別れができたのは本当によかった。これもひとえに親身になってケアしてくれた訪問看護師さんがいてくれたから実現できたこと。
心より感謝申し上げます。